私の発見ノート

日常は”発見”の宝庫

葉っぱの先には

先日、大きな葉っぱがわんさか生えている塊を見つけた。

よくよく見てみると、その葉っぱは紫陽花のものだった。

紫陽花が咲いていないと、単なる葉っぱの塊に見えてしまう。

しかし、紫陽花の花の時期も過ぎた秋にも関わらず、

葉っぱはまだまだ元気で青々としていた。

その中に見つけた。

虫食いなのか、一部枯れてしまったからなのか、

穴の空いた葉っぱだ。

私はなんとなく葉っぱの穴から覗くようにして写真を撮って見た。

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特に何を切り取ったというわけではないが、

自然に生まれたフレームのようで、個人的にツボにハマった。

葉っぱの穴は、切り取るという人工的な行為を

自然にやってのけてくれたのだ。

太陽の光、空をうまくナチュラルに切り取ってくれた感じだ。

 

この写真。

何か特別なわけではないが、

同じ景色でも違った視点からみることで、

特別になるという気付きのきっかけになる気がしている。

同じ視点で違うものを見るだけでなく、

同じものを違う視点から見る姿勢を大切にしていきたいです。

 

 

 

 

 

ユラ・ユラ・ユラめく

金魚。

先日金魚で有名な奈良の大和郡山に行ってきた。

金魚のシーズンが過ぎてしまったからか、

街に点在する生け簀には金魚はもちろん、

その周りに人もあまりいなかった。

しかし、さすがは金魚の街。

金魚の水槽が街の至る所でディスプレイされていた。

 

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いつも思うが、金魚が泳いでいる姿は

泳いでいるというより、ゆらめいているように見える。

赤い尾びれや背びれがゆらゆらと揺れて、

赤いベールを揺らめかせて踊っているかのようだ。

その姿は見ていて飽きない。

 

この街をぶらぶらしていると無料でみれる金魚博物館があった。

そこには様々な種類の金魚がいた。

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金魚は人間が交配することで、

人間がより魅力的に感じる形へと変貌を遂げた。

つまりある種のバイオサイエンスによって生まれたのだ。

バイオサイエンス。

近年出現した科学技術のようだが、実は大昔から人間はそれに近いことを行ってきたのだなと思い起こされる。

 

生き物の美しさ=自然の美しさ。

そんな風に思うのだが、実は違う。

金魚の美しさは、人間が作り出した美しさ、つまり人工的な美しさと言える。

そんなことを考え始めたら、少し人間の怖さを感じてしまうが、

やはり、金魚の美しさは惹かれてしまう。

この美しさは普遍的だけど、まだまだ発展途上。

更なる進化を期待してしまう自分がいます。

 

 

 

猫の隠れんぼ

先日こちらをじっと見つめていた猫がいたので、

その姿をカメラに収めようとしたところ、草陰に隠れてしまった。

人への警戒心の強い猫だし、怖がらせては可哀想かと思い、

その場を離れることにした。

しかし、視線を感じ振り返ると猫がついてくるではないか。

ツンデレな猫なのかと思い近づいてみると、

案の定、近くに停めてあった車の下に隠れてしまった。

しかし、車の下に隠れながらもこちらをじっと見ている。

こんなに強い目ヂカラで見つめられてしまうと目線を外せなくなり、

そのまま、その姿をカメラに収めることにした。

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しかし、この猫が隠れた車。

人が乗っており、エンジンがかけた状態で一旦停止している車だったのだ。

運転手が気づかず、動き出してしまってはこの猫を傷つけてしまう。

ただ運転手に「猫がいるから動かさないでくれ」と声をかける勇気もなく、

一生懸命猫を呼び出そうと、

誰かに聞かれないように遠くから控えめに、

猫の鳴き真似をするなど試行錯誤をしてみた。

しかし、ふと気づいた。

猫が隠れている原因は私だ。

その場を離れて遠くから見ていると、猫は無事車の下を離れた。

 

そういえば猫バンバンというプロジェクト思い出した。

寒い冬、猫は暖かいボンネットなどに入り込んでしまう。

それに気づかない人間が車を動かしてしまうことで猫を傷つけてしまう。

なので、車に乗る前にバンバンと車を叩いて猫に車が動くことを知らせましょう

というプロジェクトだ。

今回の出来事はそれとは少し違うが、猫バンバンを思い出してしまった。

いつも思うが、普段生活していると人間の世界に猫がいると勘違いしてしまう。

けど猫から見れば、猫の世界に人間や人間が作った車があるのだ。

猫バンバンは猫の命を守ろうというプロジェクト。

ただ猫にはどう思われているのかはわからない。

 危険を知らせてくれてありがとうと思っている猫もいれば、

せっかく寝てたのになーって思ってる猫もいるだろう。

 

今回の車の下は、人間の目線からすれば危険な場所だが、猫にとってはこっちを伺いながら奥に逃げ込めるスペースもある良い隠れ家だったかもしれない。

ただ、彼をそんな隠れ家に追い詰め、さらにそこから追い払おうとしている私は猫からすればたぶん随分迷惑な人だっただろう。

人間の視点と他の生き物との視点の共有は難しいと思ってしまいます。

 

 

ハトと色

公園でよく見かけるハト。

人が食べこぼしたご飯など、おこぼれを目指して寄ってくる鳥。

ハトについては、糞害などあまり綺麗なイメージはない。

しかし白いハトは平和の象徴とされ、

とても綺麗なイメージだ。

色の違いだけでこんなにイメージが変えてしまうとは、

人間って勝手な生き物だとハトには思われているだろう。

 

ただいつも思うのは、全体的に暗い灰色をしているハトだが、

首元の虹色はスカーフを巻いているようで素敵だなと思う。

体全体が虹色。もしくはいっそのこと真っ白か、真っ黒だったら虹色が映えて綺麗なのに。。。とハトのコーディネートを勝手に想像してみる。

ハトにとってはいい迷惑だ笑。

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今回少し気になって鳥と色の関係について調べてみた。

鳥は、人間よりも色を認識するための細胞(錐体細胞)の種類が多いため、

鳥が持つ色を認識する力は高く、多くの色情報を取得することができるそう。

さらに人間には認識できない紫外線も目で見ることができるとのこと。

ということは、もしかしたらより華やかで鮮やかな世界を見ているのかもしれない。

 

となると、この公園で見かけるハト。

首元の虹色のスカーフ以外は全体的に地味だが、

もしかしたら、ハト同士では互いが華やかにド派手に見えているのかもしれない。

 

動物が見えている世界と人間が見えている世界。

いつか比較できる日がくるととても面白いかもしれない。

そんなことを想像するのも楽しいです。

 

 

 

花の中のむし

まだまだ日差しの強い日。

しっとりとしたイメージの睡蓮には似合わない気がする日。

そんな日にまっすぐに上を向いている睡蓮を見つけた。

その睡蓮を上から覗いてみると、

ハチだろうか。

虫が雌しべの中でお亡くなりになっていた。

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睡蓮だけでないが、花は虫によって受粉するものが多数ある。

それは虫と花の持ちつ持たれつの関係で成り立つ。

虫は美味しい蜜を受け取る代わりに、花の花粉を遠くへ飛ばすのだ。

この虫は報酬である蜜をもらう際に悲しい結果になってしまったのだろうか。

普段は目の前を飛んでいると煩わしく感じてしまう虫だが、

せっせと蜜や花粉を運んでいた末の姿をみると侘びしく感じる。

 

そういえば、睡蓮の花は中心部を柱が囲むような形になっていて、

雌しべと蜜が見えるようになっている。

しかし実は開花直後は、蜜と雌しべを隠すようにその柱が中央に向かって倒れるような形になっていて雄しべ(花粉)が露わになっている状態らしい。

開花直後は虫にたっぷり花粉をつけてもらって、そのあとに報酬として蜜を渡す。

と見せかけて受粉をしてもらうといったところか。

 

大人しく見えても、生物は常にかなり戦略的だ。

脱帽ものです。

 

 

 

ひまわり②

最近、空気が秋に変わった気がする。

ただまだまだ日差しは肌に刺すように強い気がする。

 

以前ブログで書いたヒマワリとは違う場所で、

新たにヒマワリを発見した。

天気が良く日差しのおかげもあって、晩夏にも関わらず元気が良かった。

日差しを浴びて夏の花にふさわしい姿を見せてくれた。

 

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ところでこの間テレビを見ていると、

ヒマワリは大体1週間くらい?で枯れてしまうので、

ヒマワリ畑では、種まきを区画ごとに少しずつずらして、

長い間ヒマワリ畑を楽しめるようにしているのだとか。

 

ちなみに種まきは4月から6月の間に行われるそうだが、

早く蒔いた方が株が大きくなり、花も大きくなるそう。

そういえばこの間見たヒマワリは私の背よりも高く、見上げるほど大きかったが、

今回のものはずいぶん小さかった。

種類が違うだけかもしれないが、

同じ花でも季節の移り変わりによる現象を感じられた。

新しい発見。

それを見つけられた時、楽しい気持ちになれます。

 

 

 

生き物みたいな水

水は私たちにとって最も身近な物質のうちの一つと言っても過言ではないと思う。

私たちは水がなければ死んでしまうし、

何より私たちの体は60〜70%水でできている。

高校の時、化学の時間に『水は特殊な性質を持っている』と教わった。

水なんてそこら中にあるし、何が特別なのかはわからなかった。

ところが教わるにつれて面白さに惹かれていった。

例えば水に氷を入れると、氷が浮く。

普段からよく見ている光景なので、何も不思議に感じない。

しかしよくよく考えて見ると、個体は液体よりも物質がぎゅっとつまった状態である。

つまり普通に考えると密度が高くなるはず。となると、氷は沈むはずである。

しかし、水はその逆。

これは水の特殊な構造によるものだが、書くと長くなるので割愛します。

こんな風に、水は身近なようで不思議に溢れているのだ。

ところで、公園に行くと噴水を見かけることがある。

勢いよく水が吹き上げている大きな噴水も好きだが、

私はこのチョロチョロと水が控えめに出ている噴水も好きだ。

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このうねうねとまるで生き物のような動きを持った水。

二度と同じ形にはならない姿は、見ていて飽きない。

これもおそらく表面張力を持った水の性質によって生まれる姿。

そういえば、この特殊な物質『水』という物質について研究をしている人がいると聞いたことがある。

この水の生き物のような姿について、その人が論じれば話は尽きないだろう。

何気ない日常に不思議を感じられる。

何だが幸せな気持ちになれます。