私の発見ノート

日常は”発見”の宝庫

コケの上に生える君

苔生す石垣。

おそらく一種類のコケだけでなく、

あるコケの上に、さらに別のコケが生えて、

小さな緑の世界を形作っていた。

そこに、ふとクローバーを発見した。

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しかし、この君。

何か違和感を隠せない。

よくよく見てみると、

普段見るクローバーの葉とは少し形が違う。

クローバーの葉といえば、

ハート型のイメージだが、

それに比べると葉の切り込みがたくさんある。

この植物が気になり、ネットで検索をかけて見た。

クローバーには、カタバミムラサキツメクサなど葉の形状が似ている植物が

たくさんあるらしい。

しかし、どの植物と比べても似て非なるものであった。

結局、この葉が一体なんなのか全くわからなかった。

もし新種や突然変異種だったらいいのになぁと、

妄想してしまいます。

 

 

赤く色づくススキ

半月ほど前。

まだ夏の暑さがかなり残っていた日。

赤くツヤっとした穂のススキを発見した。

そういや、こういうのよく見かけるなーと思いながら、

ススキに似た別の植物なんじゃないかとも思っていた。

ふと、そのことを思い出して気になったので調べて見た。

すると、これは花穂というススキの花らしい。

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これがやがて種子となってふわふわとした綿毛がつき、

ススキ特有のあの箒のような形になるのだそう。

秋になると、黄金色の草原を作り出すススキの穂。

その前に、実は密かにぽっと赤く色づいていたススキの花。

ススキに私の知らない色があった。

小さなことでも、

知らないことがあると知れるのは、

とても幸せです。

 

秋のダンデライオン

「たんぽぽ」といえば春。

私だけかもしれないが、そういうイメージが私の中では定着している。

しかし、たまに見かける「秋のたんぽぽ」の綿毛。

タンポポが秋に咲くはずない。

きっと違う植物だ。

と、どこかで私の定着したイメージを残そうと

なぜか奮闘していた。

その奮闘も虚しく今年もタンポポの綿毛を発見した。

そして今年ようやく諦めて、

その存在を認めることにした笑。

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調べて見ると、セイヨウタンポポは温度などの条件が揃えば普通に咲くのだそう。

なーんだ、今までの奮闘がバカみたいだ。

と思いつつ、タンポポの生命力に脱帽だ。

そういえば小学生の時に授業で、

タンポポは地上の大きさとは比較にならないくらい根が地中深くまで張っていていることを知って、その力強さに驚いたことを覚えている。

タンポポの英名はダンデライオン

フランス語の「ライオンの歯」という意味の言葉が由来らしい。

意味としては、タンポポのギザギザの葉っぱがライオンの歯の様だからという。

 愛らしい姿とは、かけ離れた猛々しい名前。

タンポポの力強さも表しているのではないかとも思ったりします。

 

ひがんばな

この間、初めて目撃してしまった。

白色の彼岸花

私だけだろうか。彼岸花といえば赤いイメージがあった。

なんとなく私が世間知らずなだけな気がするが、

生まれて初めて見た白色の彼岸花

私にとってはかなりの衝撃だった。

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彼岸花という花を初めて知ったのは「ごんぎつね」。

もしかしたら、それまでも見かけていたのかもしれないが、

小学校の国語の授業で「ごんぎつね」を勉強した後に、毎年秋の時期になると必ず注目して見るようになった。

ごんぎつねの話の中では、キツネのゴンがお地蔵様の影からこっそり葬列を見ている場面で彼岸花が登場する。

彼岸花という名前 の通り、故人が旅立ってしまう悲しさを際立たせている。

そのシーンで登場する彼岸花は『赤い布のように咲き続き』とあり、やはり真っ赤な印象だった。

これを初めて知った小学生当時、教科の中でも国語が苦手で読解力という力が人一倍乏しかった私だが、このシーンは彼岸花が表す悲しさ・そしてゴンの切ない行く末を予言しているようで、強烈なインパクトを受けた覚えがある。

そんなこんなで彼岸花といえば赤というイメージが私には定着してしまった。

なので今回の白色の彼岸花の発見は、

私が彼岸花と出会ってからの歴史で大きな衝撃だったのだ。

知っているつもりでも、知らないことがたくさん。

そんな日々が楽しいと感じます。

 

 

 

 

小さな秋みつけた

先日までだいぶ暑かったのでその気分で出かけたら、

急に肌寒くなっていたので、

うっかり風邪をひいてしまいそうになった。

家の近くの公園を通りかかると、早速みつけた。

秋の気配。

木としては全体的にはまだまだ青々しいが、

ひと枝だけ赤く色づいた葉っぱを見つけた。

モミジだ。

夏には意識して見ないと気づかないが、

秋になると、途端に自己主張が強くなる葉。

 

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 もうすぐ紅葉の季節。

一面赤く染まったモミジを想像すると楽しみだ。

ただ、ふと思ったが、モミジは全ての葉が色づくと一面の景色として注目されるが、一つ一つの葉がフューチャーされることは少なくなる。

ところで紅葉は、葉にある緑色の元となる葉緑体が分解されて起こる。

今回のようにひと枝だけ先に紅葉するのは、なんらかの原因によって先に葉緑体の分解が促進されてしまったことによるのだそう。

その原因には、そのひと枝のみ病気や虫、周囲の環境によって葉緑体が保つことができなくなったことや、そのひと枝のみ遺伝的な変化が起きて葉緑体を保ちにくくなったなど、様々なものがある。

いずれの理由にせよ、

今回の葉は他と同調してより華やかな紅葉をアピールするのではなく、

ささやかながら個をアピールすることを選んだ。

そういう姿にも好意を感じてしまいます。

葉っぱの先には

先日、大きな葉っぱがわんさか生えている塊を見つけた。

よくよく見てみると、その葉っぱは紫陽花のものだった。

紫陽花が咲いていないと、単なる葉っぱの塊に見えてしまう。

しかし、紫陽花の花の時期も過ぎた秋にも関わらず、

葉っぱはまだまだ元気で青々としていた。

その中に見つけた。

虫食いなのか、一部枯れてしまったからなのか、

穴の空いた葉っぱだ。

私はなんとなく葉っぱの穴から覗くようにして写真を撮って見た。

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特に何を切り取ったというわけではないが、

自然に生まれたフレームのようで、個人的にツボにハマった。

葉っぱの穴は、切り取るという人工的な行為を

自然にやってのけてくれたのだ。

太陽の光、空をうまくナチュラルに切り取ってくれた感じだ。

 

この写真。

何か特別なわけではないが、

同じ景色でも違った視点からみることで、

特別になるという気付きのきっかけになる気がしている。

同じ視点で違うものを見るだけでなく、

同じものを違う視点から見る姿勢を大切にしていきたいです。

 

 

 

 

 

ユラ・ユラ・ユラめく

金魚。

先日金魚で有名な奈良の大和郡山に行ってきた。

金魚のシーズンが過ぎてしまったからか、

街に点在する生け簀には金魚はもちろん、

その周りに人もあまりいなかった。

しかし、さすがは金魚の街。

金魚の水槽が街の至る所でディスプレイされていた。

 

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いつも思うが、金魚が泳いでいる姿は

泳いでいるというより、ゆらめいているように見える。

赤い尾びれや背びれがゆらゆらと揺れて、

赤いベールを揺らめかせて踊っているかのようだ。

その姿は見ていて飽きない。

 

この街をぶらぶらしていると無料でみれる金魚博物館があった。

そこには様々な種類の金魚がいた。

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金魚は人間が交配することで、

人間がより魅力的に感じる形へと変貌を遂げた。

つまりある種のバイオサイエンスによって生まれたのだ。

バイオサイエンス。

近年出現した科学技術のようだが、実は大昔から人間はそれに近いことを行ってきたのだなと思い起こされる。

 

生き物の美しさ=自然の美しさ。

そんな風に思うのだが、実は違う。

金魚の美しさは、人間が作り出した美しさ、つまり人工的な美しさと言える。

そんなことを考え始めたら、少し人間の怖さを感じてしまうが、

やはり、金魚の美しさは惹かれてしまう。

この美しさは普遍的だけど、まだまだ発展途上。

更なる進化を期待してしまう自分がいます。